地方は霞が関の言いなりでいいのか?
霞が関のキャリア官僚と呼ばれる人たちは約2万人いると言われています。
それに対して地方公務員は約275万人いるとのことです。
地方と霞が関が数で戦うことになれば、地方が数的優位に立っています。
しかし実際のところ、地方は霞が関の言いなりになってしまっています。
果たしてそれでいいのでしょうか?
霞が関と地方の違い
霞が関と地方の違いは一体何なのでしょうか?
一つは採用試験の難易度にあります。
そしてもう一つは試験を突破する人の学歴の高さにあります。
霞が関は偉いのか?
採用試験の難易度、倍率や学歴が高ければ、それで果たして偉いと言えるのでしょうか?
答えはノーです。
採用試験や学歴の高さは勤勉さを証明するものではあるかもしれませんが、優秀さを示しているかどうかはわかりません。
数々の高い倍率の試験を突破してきたエリート官僚は学校秀才であって、答えがある問題を解くのは得意です。
しかし、正解のない国家を運営するということに関しては、得意かどうかはわかりません。
むしろ苦手なのではないでしょうか?
現在の社会問題の多くは、エリート官僚とは縁のない社会的弱者をいかに救うかであったりするからです。
これまで接してこなかった人たちを助けようと理論では理解していてもシンパシーはないように思います。
遠くにいる人を、例えばアメリカの先住民のために何ができるかとかインドのストリートチルドレンに何ができるかと考えるのは難しいですよね。
日常的に接することのない人を思って、何かためになる仕事ができるかと言えば難しいと思います。
霞が関に勝負を挑む!
そうであれば、地方の最前線で働く、地方公務員はエリート官僚よりも現場のことを良く知っているので、勝ち目はあるのではないでしょうか?
勝負って言うけど何?となる方もいると思います。結局言いたいのは、「地方自治体は、国や県の言いなりになるべきではない」ということです。
エリート官僚、都道府県職員という順番が試験の難易度の順番です。
しかし働き始めれば、学歴とか偏差値とか試験の倍率とか全く関係ありません。
それなのに国が推進することを都道府県は推進します。
そして、市町村は都道府県にお尻を叩かれ、実施しようとします。
市町村にはエリート官僚達に対するコンプレックスもあるのかリスペクトがあるのかわかりませんが、素直に言うことを聞くところが多いです。
本当に必要な事業であればそれでもいいですが、コスパの低い事業が山ほど国や都道府県から下りてきます。
全ての地方自治体が「現場に近い自分たちが教えてやる」ぐらいの気概で仕事に取り組めたら、日本は変わります。
地方がタッグを組んで、霞が関に負けない力をつければ日本は必ず良くなります。