公務員だったカフカ
「変身」「審判」「城」などの著作で知られる天才小説家フランツ・カフカ(Franz Kafka)(1883〜1924)は、25歳の頃から13年間、公務員として働いていました。
保険局で働くようになる前には、1年間民間の保険会社に勤めており、その時はいわゆるブラックな職場環境でした。
毎日10時間の勤務に加え、時間外労働と日曜出勤も・・・といった過酷な労働環境であったため、入社し、数ヶ月で別の職場を探し始めています。
そんな中、知人のツテをたどり、保険局の仕事を得ます。
公務員としての仕事
カフカは公務員としても非常に優秀で、特に文書作成能力を買われ、出世をしていきます。
公務員としては、1908年から1922年の期間、保険局に在籍しています。
1913年、書記官主任(30人の部下)
1920年、秘書官
1922年、秘書官主任
という主な経歴です。
保険局での主な仕事は
- 企業の傷害危険度の査定、分類
- 分類に対する異議申し立て訴訟の処理
- 企業(特に木材部門)での事故防止
などをしていたそうです。
結核を発症し、勤務不能となり、1922年に退職することになります。
いつ名作を書いたのか?
プラハ市内の保険局で働いており、8時から14時まで昼食を取らずに働き、残った午後の時間を小説の執筆にあてていました。
1908年、労働者災害保険局に勤務。8編を『観察』と名付け発表
1909年、『ある戦いの記録』、『祈るひととの対話』『酔っぱらいとの対話』を発表
1910年、日記を書き始める
1912年、フェリーツェ・バウアー(最初の恋人)と出会い、創作意欲が高まる『判決』(一晩で執筆)『火夫』『変身』執筆
1914年、『審判』『流刑地にて』執筆。
1915年、『変身』出版。
1916年、『田舎医者』などの短編を執筆
1922年、『城』『ある犬の回想』『断食芸人』などを執筆
・・・このようにカフカが公務員だったのが、1908年から1922年なので、ほとんどの名作を公務員として働く間に書いています。
公務員をしながら充実した私生活を
カフカは、自己実現のための時間を公務員として働きながらもしっかりと確保していました。
ワークライフバランスが叫ばれる昨今、カフカから学ぶべきことは多いと思います。
・・・そう言えばアインシュタインが相対性理論を思いついたのも、公務員時代です。
公務員が本業以外に社会貢献している代表例です。
社会貢献どころか世の中を変える創作をする時間があるのが、公務員なのかもしれません。
本業での働き過ぎには注意が必要ですね。