1. なぜ大手企業は“体育会系”を好むのか?
大学を卒業すると、企業の多くが「体育会系出身」を高く評価します。
理由は単純明快。
「上下関係に忠実で、命令に従順」「根性があり、無理も通す」。
つまり、組織に逆らわず、過酷な環境にも耐えられる人材という評価です。
しかし、それは裏を返せば、自分で考えずに動く“イエスマン”が重宝されているということ。
公務員の世界でも、体育会系出身の職員が「使いやすい」と言われる場面は少なくありません。
2. 体育会系がもたらした“思考停止社会”
体育会系の最大の特徴は「縦社会」と「ノリ」です。
「上の言うことは絶対」「場の空気に逆らうな」。
こうした価値観が、健全な議論や異論を封じ、創造性を押し殺してきました。
公務職場でも、「前例がない」「課長が言ったから」といった言葉が日常的に使われます。
そこにあるのは、問題解決よりも“波風立てない”ことを優先する文化。
こうして“ゼロイチ”を生み出す力は奪われ、日本全体が「変わらないこと」に安心し、「変える力」を失っていったのです。
3. 外資系企業で見た“非体育会系”の価値観
ある外資系企業で働く友人が教えてくれたエピソードがあります。
新しく就任した社長がとても若く、驚いた友人が「社長っていくつ?」と同僚に聞いたところ、
「その質問が日本的だね。能力があれば年齢なんて関係ないよ」
と返されたそうです。
この一言に、日本社会の“根深い上下意識”が浮き彫りになります。
年齢や経験よりも成果と論理、自由な議論と挑戦。そこに創造性が生まれ、変化を生み出す力が育まれるのです。
まとめ
体育会系文化の「美徳」は一部に過ぎず、それが社会の標準となると、思考停止とイエスマン社会が蔓延します。
変化の時代を生き抜くには、上意下達よりも、「自分で考え、議論し、動ける」人材が必要です。
今、公務の世界にも“脱・体育会系”の価値観が求められています。