生活保護とは?
まず生活保護とは何か、というところですが、これは憲法25条やそれに基づいた生活保護法に規定されている「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障した制度ということができます。
生活保護の事務は原則として住民に最も近い基礎自治体が担っています。市役所には生活保護の申請窓口があるはずです。一部の町村では、県がその事務を担っているところもあります。
生活保護の水際作戦について
昨今、生活保護の水際作戦が行われている実態が明らかになってきました。
生活保護の水際作戦とは、「審査もせずに保護申請の受理を拒否すること」で、窓口という水際で申請をさせないようにしているということです。
生活保護の水際作戦がなぜいけないのか?これは刑事訴訟法の理念が非常に参考になります。
刑事訴訟法の理念
刑事訴訟法の理念というのは、「1000人の罪人を放免するとも1人の無辜を刑することなかれ」にあります。
これは刑事訴訟法の大原則です。どういうことかというと、国家や行政というのはとても強い権力です。その強大な公権力によって、無実の人が罰せられることはあってはいけないということです。
そのために刑事訴訟法では手続きをとても重視します。何があっても冤罪を起こしてはいけないというのが刑事訴訟法の原則です。
それでも時々冤罪が起きてしまいます。しかし、それではいけないのです。公権力によって無実の人が捕まり、罰せられることはあってはいけません。だから「1000人の罪人を放免するとも」とあるのです。
公権力は強大な権力です。時には人を殺めることすらできてしまいます。そんな権力を縛るには、こうした厳格な手続きを要求する必要があるのです。
100%が達成できない時どちらにつくか?
では、本題です。生活保護の水際作戦がなぜいけないのか?
生活保護という制度がある以上、不正受給はなくなりません。
「不正受給があるから厳しく審査するんだ」という声が聞こえてきそうですが、その正義感自体は悪くないのですが、正義感を振りかざすとそれは権力の濫用になってしまいます。防げる不正受給は防ぐべきとは思いますが、それが一義的になってしまっては生活保護の趣旨からずれてしまいます。
あくまで「住民の最低限度の生活保障」の観点から申請する権利は尊重するべきです。
制度がある以上、100%不正受給を防ぐことは難しいです。それ以上に不正受給を防ぐために、本来生活保護を受けるはずの人が受けれなくなることはあってはならないのです。
行政という強大な公権力によって、生活保護が受給できずに死に至ることは絶対に防がないといけないのです。
刑事訴訟法の考え方に照らせば、「1000人の不正受給を容認しようとも1人の受給できる権利を奪うことなかれ」とでも言えるかもしれません。
実務上は中々、こういう考え方をすることはできないかもしれません。しかし、頭の片隅にこういった考え方があれば、生活保護の水際作戦で餓死するなんていう痛ましい事件は防げたかもしれません。