刑事被告人の権利
刑事事件の被告人には、弁護士に弁護してもらう権利があります。
これは憲法と刑事訴訟法によるものです。なぜ、弁護士に弁護してもらう権利があるのでしょうか?
刑事訴訟法の目的は、刑事訴訟法第一条にあります。
第一条 この法律は、刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする。
この目的を達成するために、被告人に弁護士に弁護してもらうのです。
どういうことかというと、刑事事件では、事案の真相を明らかにし、場合によっては被告人を処罰します。
罰も軽いものから、重たいものは今の日本では死刑まであります。
ポイントになるのは、国家権力・行政権力によって、被告人は殺すことも可能であるという点です。
被告人と言えど人間です。
この強大な国家権力から国民をどう守るか?ということを考えて、被告人の権利を十分に保障するために弁護士をつけることにしたのです。
「1000人の罪人を放免するとも一人の無辜を刑する事なかれ」という刑事訴訟上の大原則があります。
何があっても、国家権力によって、誤って刑罰を下すことがあってはならないのです。
被告人という不利な立場にいる人に対して、憲法は弁護士をつけることを要請したんですね。
弁護士をつけることで、被告人の権利を保障しようとした訳です。
措置児童の権利
被告人の権利を保障するための上記権利はとても大切です。
それと比べる訳ではないですが、十分な権利保障がされていないと感じるのが、「措置児童」です。
「措置児童」とは、児童養護施設や里親家庭で生活する子どものことを指します。国内に約35,000人います。
(参考までに、被告人に国選弁護人が付いた人数が、約50,000人となっています。)
措置とは、児童相談所の行政処分を指します。児童相談所が、子どもを「子どもの最善の利益」を考え、児童養護施設や里親家庭に送る決定をするのです。
児童相談所とは、子どもの選択に関しては、裁判官のような役割を果たします。
「子どもの最善の利益」を考え、この子どもにはこういった施設にいった方が良いと決定するのです。
「子どもの最善の利益」は児童相談所の考える最善の利益です。極端なことを言えば、子どもがどう思うかは関係ありません。
子どもが家に居たいといっても児童相談所が家庭を「不適切な養育環境」と認めれば、子どもは施設に送られることだってあり得ます。
この裁判の審判のような、公権力による決定、処分に対して、子どもは声をあげることができません。あげたとしてもかき消されてしまいます。
そうであれば、子どもであっても、権利の主体として尊重するのであれば、弁護人の一人でもつける仕組みがなければならないのではないでしょうか?
私人対公権力の構図で、私人の権利を十分保障するシステムが今の日本にはありません。
私人といっても一般の私人ではなく、弱い立場にある子ども(その中でも虐待等を受けてきた自己肯定感の低い子ども)です。
子どもを権利の主体として尊重するのであれば、弁護人をつけることぐらいしなけらば権利を尊重する社会ということはできません。
児童福祉法への上書き。弁護人依頼権。
昨今の児童福祉法の改正により、条約の精神にのっとることや体罰禁止などが明記されています。
子ども権利の主体として尊重するためには、特に措置される児童に関しては、重たい行政処分をされるので、弁護人を付けて、権利を保障してあげないといけないのではないかと思います。
システムとしてする場合は予算もかかることではありますが、措置児童の権利が侵害されている社会と尊重される社会であれば、後者の方が明らかに良い社会であるということができます。
子ども自身も自身が尊重されずに成人した場合と尊重されて成人した場合とでは、社会との向き合い方も変わってくると思います。
子ども自身のためにも、より良い社会にするためにも児童福祉法に措置児童の弁護人依頼権を上書きしてほしいですね。そうすることでより良い明るい未来が待っているような気がします。