はっきりしない候補者たち
最近では、自民党総裁選により一国の総理大臣が決まることが多くあります。
自民党総裁選をはじめとする「総理大臣を決める」選挙について、みていて疑問に思うことがあります。
それは、不思議といずれの候補者も「自分が総理大臣をやりたい!」と明言しないことです。
「周りが言うから立候補する。」「そういう状況になれば・・・」などと言う人達ばかりです。
はっきりしない原因は?
それにしてもなぜ「やってみたい!」という人はいないのでしょうか?
これも日本的組織の病とも言えるかもしれません。
一つ目の理由は、そもそも「はっきりしない人が評価され、偉くなっている」ことが考えられます。
日本では組織の中で評価されるのがいわゆる調整型の人間で、敵を作らない、当たり障りのない人が評価されます。
そのため、総理大臣の候補者と言われるぐらいの人たちは、「調整」して世の中を渡り歩いてきたのでしょう。
二つ目の理由は、「失敗をおそれている」ことが考えられます。
仮に総理大臣になれなかった時に、自分から手をあげて、ダメだった時は、言い訳がしにくいでしょう。
だから、自分から率先して、手をあげないのかもしれません。
素直な人に任せたい!
一国の総理大臣です。
素直に「やってみたい!」と言える人はいないのでしょうか?
自分なら、素直に「総理大臣をやってみたい!」という人を応援したいし、投票します。
組織を調整する人間は必要ありません。
やる気に満ちあふれ、挑戦したい!という気持ちのある、素直な人に、国の行く末を任せてみたいと思うのは、私だけでしょうか?